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ブログリレー(2) 山口良文

ブログ2024-03-18

冬眠に魅せられし者 

北海道大学・低温科学研究所・冬眠代謝生理発達分野・山口良文

第一弾の記事は冬眠生物学の意趣紹介みたいになってしまったので、第二弾はくだけた感じの自己紹介といきたいと思います。お題は「私と冬眠研究」。


 私が冬眠研究をやろうと思ったそもそものきっかけ、よくいろいろな方に聞かれます。いくつかの段階があるかと思うのですが、そもそも冬眠の不思議を身をもって感じたのは、子供のころに飼っていたカメの冬眠でした。住んでいたのがマンションだったので、冬場は玄関先で木の葉を集めて冬眠させていました。春になると目覚めるのは当たり前の様に感じていましたが、ある年の春、カメは目覚めてきませんでした。冬眠に失敗して死んでしまったのです。私は子供の頃の記憶はほとんど覚えていないタイプなのですが、この出来事は大変印象に残っています。


 だからといってそれで冬眠研究や生物学研究を志したわけでもなく、冬眠のことなど、大学院に入ってからも忘れていました。大学・大学院で発生生物学を志したのは、発生現象の理解が劇的に進展していて面白そうだったというのが大きいのですが、もう一つ自分自身の問題として、当時社会を賑わしていたクローンや生殖医療、生命の選別といった倫理的問題について、自分はあまりにも知識がなく、そこを考える座標が欲しいと思ったことも大きかったのです。ですので、具体的に冬眠が研究テーマとして私の頭に浮かんができたのは、大学院博士課程も後半に差しかかり、上記の倫理的問題に関して自分の中ではそれなりの解決を得た頃でした。博士取得後にはどんな研究をしたいか、テーマを模索し文献等を漁っていくなかで、いくつか興味があるテーマがありました。なかでも冬眠は、まだ未開拓領域の多い分野で基礎生物学として面白いだけでなく、将来の医療応用や社会への波及効果も含めて非常に有望な、ロマンのある研究テーマだと感じました。そもそも学位取得後に研究テーマを変えようとおもったきっかけも複数あるのですが、なかでも大学院生時代に共に過ごした、京都大学理学部竹市研の諸先輩方の影響は大きかったと思います。当時の諸先輩方からは、大学院を出たらそれまでの延長でやるのは楽だけど、むしろ他人の後追いをするのではなく自分が道を切り拓けるような新しい研究テーマを選ぶのが良いのだ!とよく聞かされるとともに、サイエンスとしてこれからどんな分野が面白いのか、日頃の会話や食事の席や酒の席(飲み会)で常日頃議論していました。今振り返っても、若者特有の青さ、熱量、そして傲慢さの全てを含んだ熱い議論だったと思うのですが、こうした議論はワクワク・ドキドキ・ヒリヒリに立脚した楽しいものですし、単なる評論家で終わるのではなく、それにまさに身を賭して挑むことができる若者の何よりの特権だとも思います。こうした考えの影響はジャーナルクラブ(論文輪読会)にも及んでおり、幅を広げるためにも自分の研究そのものとは異なる分野の論文を紹介すべしという、なんとなく暗黙の了解がありました。当時は発生生物学・細胞生物学がメインの研究室でしたが、ここでいう分野というのは全く違う分野のことではなくて、発生生物学の中でも初期発生の研究テーマをやってる人は器官形成の話や進化発生の話とか、細胞生物学をやってる人は発生学の話、マウスをやってる人はショウジョウバエやゼブラフィッシュの話など、そのくらいの分野のずらしのことです。ただいかんせん、当時のラボは教授・助教授・助手(いまでいうところの准教授・助教)に学生あわせて30〜40名近い大所帯で、研究分野も発生、細胞、神経、生理、と実際多岐にわたっていました。さらにはなんと冬眠の話題を扱った先輩もいたことを、以前古いレジメを見直していた際に発見しました。また博士課程の途中で、指導教員だった高田慎治さんの教授昇進異動に伴い移籍した基礎生物学研究所でも、同様の議論をできる同志たちに恵まれました。こうしたアカデミックな大学院生活を通じて幅広い分野への興味が育まれたのかと思います。もちろん、まずは自分の専門分野の論文のフォローができていることは大前提です。そのために大学院修士・博士時代は毎日1本論文を読むことを自分に課した時期もありました。ラボに入った4回生当時は学部の不勉強のツケがたたって、論文1本読むのに1週間以上かかっていた自分にとってはかなり無茶な課題でしたが、人間為せば成る、気合は大事です。とはいえ、こういった昔話も今にそのまま通用させるのは難しい部分もあると感じます。爆発的に論文の出るペースや本数が増えただけでなく、論文にするためにやるべき実験の種類や量も遥かに多くなった現在と当時とでは、状況も大きく異なります。ですが、ワクワク・ドキドキ・ヒリヒリ、この三要素は面白いサイエンスを追求していく必須要素のはずですので、そのための努力を惜しまず続けることが大事かと思っています。「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」by高杉晋作&野村望東尼、です。


 なんだか話の主題がまたずれてきたので冬眠の話に戻ります。というわけで、そもそものきっかけは、冬眠のロマンに賭ければ自分自身がずっとワクワク・ドキドキ・ヒリヒリできるのではないかという、なんとなくのいわば勘だったのですが、それを確信に変える論文に2006に出逢います。当時、東京は町田にあった、三菱化学生命科学研究所にいた近藤宣昭博士のCell論文です。詳細は省きますが、10年以上にわたるシマリスの飼育実験を通じて、冬眠制御に関わる分子を機能検証実験も含めて同定した、という壮大なものでした。この論文の凄みに私は脳天を射抜かれて、自分も一度はこんな論文を書いてみたい、やはり将来は絶対冬眠研究をしたい、と思うようになりました。しかし実際に近藤さんのところにポスドクインタビューに行ったところ、当時の自分自身、大きく分野を変えるにはまだ力不足だということ、何より冬眠動物の飼育系の難しさゆえに現実的に大ジャンプをすることができず、近藤さんや先述の高田さんの勧めもあって、まずは冬眠とは異なる分野でジョブハントをしたりして、実際に冬眠研究を始めるまでは、さらに時間がかかりました。実際に事を始めるところが実は大事で、そこに至るまでには、発生と細胞死研究を行いつつ冬眠研究を開始する許可をくださった三浦正幸教授(東京大学薬学部)や冬眠研究に賭けてくださったJSTさきがけの先生方、一緒にやってくれた学生たちなど、数多くの方々の支えや幸運な出会いがありました。が、本記事は冬眠研究をやろうと思ったそもそものきっかけということなので、そちらはまた機会があればということで。冬眠のロマンに挑む旅路はまだまだこれからで、こうした振り返り記事を書くのは15年早いと気がひけるところではありますが、少しでも若い人たちの参考になるところがあればと書いてみました。


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