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ブログリレー(5)  金 尚宏

ブログ2024-06-13

時間生物学から冬眠生物学へ
-低温で活性化するCa2+シグナルに導かれて-
 

名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所・金 尚宏

 

大学の研究の良いところは、好奇心のまま自由に仕事ができることです。大学にいると当たり前のことなのですが、ひとたび会社組織に入れば、それがどれくらい貴重なものかしみじみと感じます。今回は、私が冬眠生物学の研究に加わった経緯についてご紹介していこうと思います。 

私は2009年に深田 吉孝先生 (本領域のアドバイザーをして下さっています) のご指導の下、概日時計 (約一日の生物リズムを生み出す体内時計)の分子的な研究にて博士号を取得しました。修了後は創薬研究を学びたいという気持ちが芽生え、第一三共という製薬会社に入社しました。6年ほど探索・薬理研究に従事した後、晴天の霹靂で本社異動となり、2016年からビジネスや臨床研究に携わりました。ビジネススーツに身を包み、昼は日本橋の本社ビルで社内外のメンバーと打ち合わせ、夜は早稲田でビジネススクールという慣れない生活をしていました。ビジネスや企業戦略など、しばらくは新鮮な仕事を楽しんでいたのですが、やはり研究畑の人間というものは創造的な現場から離れると辛いものです。残りの自分の人生でやりたいことを模索した結果、基礎研究を再開することにしました。 

2018年より、古巣の深田研究室で概日時計の研究を久しぶりに再開することになったのですが、何をしようか、しばらく考えていました。その当時は時計遺伝子の発見に対してノーベル賞が授与されたタイミングで、概日時計に対する社会的な関心が高まった時期でした。しかし内心、自分が時計の分野で仕事をするかどうかは悩ましい気持ちでした。すでに大枠が解けてしまった生物の仕組みを研究するというのが、プロの仕事としては価値がないのではと考えていたからです。それならば、時計遺伝子では説明できないことを始めようと思って着目したのが、概日時計の特殊な温度特性である『温度補償性』でした。 

温度補償性とは、概日時計の周期が、様々な温度条件でも約24時間という一定周期を保つ性質です。私たちの身の回りにある時計は、夏でも冬でもいつも一定のテンポで進みます。この性質は概日時計にも備わっているのですが、不思議なのはその仕組みです。細胞内で起こる化学反応や生化学反応は、普通は温度感受性を持ち、低温になると反応は遅くなります。一般的な化学反応の温度係数Q10は2-3なのですが、概日時計の周期のQ10は0.8-1.2です。 

この仕組みを解きたいと思って研究を始めることにしました。製薬企業にしばらくいたおかげで、低分子化合物を用いた研究企画が得意になっていました。そこで、培養細胞を用いて温度補償性に関わるタンパク質の阻害剤スクリーニングを行いました。その結果として、Na+/Ca2+交換輸送体 (NCX)やCa2+/カルモジュリン依存性タンパク質キナーゼ II (CaMKII)といったCa2+制御に関わるタンパク質の阻害剤の存在下では、細胞の概日リズムの温度補償性が大きく阻害されることが分かりました。これらの分子をさらに解析したところ、温度低下に応じてNCXは細胞内へのCa2+流入を促進し、CaMKIIを活性化させることが分かりました。CaMKIIは、転写因子CLOCKをリン酸化し、活性化させます (Kon et al., Genes and Development, 2014)。ここから、低温で活性化するCa2+シグナルが、転写因子CLOCKを介して転写リズムのテンポを速めていることに気がつきました。つまり、温度補償性とは、概日時計を構成する反応が温度に非感受性であるわけではなく、むしろその逆で、反応速度を積極的に補償するシグナルが低温に応じて活性化することが鍵だったのです (Kon et al., Science Advances, 2021)。 

私達は細胞内におけるCa2+の役割に関して分子生物学的な役割を解析することは得意でしたが、実際に細胞内のCa2+レベルの定量、特に概日リズムを観察するような、10日に渡る長い期間での定量技術は全く持ち合わせておりませんでした。そこで、Ca2+レベルの定量に関してご相談を差し上げたのが榎木 亮介先生 (当時、北海道大学 電子科学研究所)でした。榎木先生は、哺乳類の体内時計中枢である視交叉上核を体外培養し、細胞が生きた状態で長期にわたってCa2+リズムを観察する解析で素晴らしい業績を重ね、イメージング研究を世界的にリードされていました。 

そこで榎木先生にご相談し、細胞内Ca2+レベルが、温度変化にどう応答するのかを解析してもらいました。榎木先生はあっという間に視交叉上核におけるCa2+の温度応答のデータを出してくれました。通常の培養温度の35度に対して、外気温を28度に下げると、細胞内のベースラインのCa2+レベルが上がることが明瞭に観察されました (Kon et al., Science Advances, 2021; Enoki et al., iScience, 2023)。温度低下に応じて活性化するCa2+シグナルの実態が、最新の生細胞イメージング解析によって明らかになった瞬間であり、とても感動したのを覚えています。

その後、温度補償性を媒介する低温性Ca2+シグナルは、哺乳類だけでなく、昆虫や植物、シアノバクテリアの概日時計にも保存された非常に祖先的な低温応答であることが分かってきました。そのため、この低温性Ca2+シグナルの解析を進めることは、細胞の機能が低温でも保持される仕組みを理解する上で重要なのではないかという考えに至りました。冬眠動物では、全身の体温が著しく下がるため、きっとこの低温性Ca2+シグナルがあらゆる細胞、組織で活躍しているはずです。冬眠生物学2.0の研究の中で、概日時計以外の生理機能における低温性Ca2+シグナルの役割を明らかにしたいと思って研究を進めているところです。

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